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そういえば団員それぞれのげんこつ団への参加の経緯等を今はどこにも明示していないので、
それについて、ガーッと書いておきます。とっても、長いです。
さて、ガーッといきます。
まず1991年、演劇雑誌の出演者募集にて植木早苗が参加。
・後日談:あとから聞くと、その募集要項に書いてあった事が、
自分のやりたい事に完璧に合致していたらしい。
しかしその内容は、私も植木も全く覚えていない。
さてその頃の植木は、ロングヘアー&ロングスカートの美少女ながら、
そこから滲み出る根っからの男前度と真剣顔度が、私の中で高評価。
そこで、初舞台にていきなりの“侍”や“ジーザス”を配役。
植木は持ち前の真面目さと元バスケ部キャプテンの運動神経で、
それを演出通りに、時に演出以上に、一つ一つしっかりとこなす。
稽古以外にあまり接点はなく、稽古が終われば失礼しますと即座に帰っていくクールビューティ。
その頃のイメージ、まさに武士。根本的には、今もそれは変わらず。
以降1991~1993、真面目に稽古に参加し公演に出演し、メキメキと演技の腕を上げる。
そして1994年に書き手の一人が抜けて、私と植木のタッグが誕生。
すでに植木は、オジサンもオバサンも色男もこなせるように。
その当時の団員は、吉田衣里・植木早苗の二名だけ。
まだバリバリ出演もしていた私だったが、
自分自身よりも演出通りに、思った通りに動ける植木に、可能な分だけ、役を受け渡していく事になる。
可能な分だけ、というのは、その頃はまだ出演者が足りていなかったから。
絶対的に演出に従い、自分自身のキャラや言葉で安易に笑いを取ろうとせずに、
しかも老若男女を演じられて、色々な性格の役柄を演じられる、そういった役者はなかなかいなかった。
というか、もともと演劇関係の人間があまり好きではなかったから、その辺の繋がりも全然なかったし。
1994~2000は、私と植木が核になるユニット的な形で公演毎に出演者を集めて公演。
1994年に当時出演していた人間の紹介で、それと入れ替わって、春原久子と武輪加奈子が参加。
・後日談:あとから聞くと、舞台を観た事ないままに稽古に参加し、
当時のどぎついネタに面食らったらしい。
しかしこれまた、そのシーンが何であったか覚えていない。
さてこれまた春原も当時かなりのロングヘアー。ただ当初から眼鏡ではあった。
普段は物静かながらふとしたキッカケで急激にテンションが上がる不思議人間、
演技や衣装で180度印象が変わる不思議人間、
そしてこれまた稽古が終われば失礼しますと即座に帰っていくクールビューティ。
そうしてまったく実体の掴めないままに、いつの間にやら、毎公演に出演していた。
その長身はオヤジやオバサンと共に色男をこなせる素質をすでに持っていた。
ちなみに武輪の最初の印象は、金髪お洒落。こういった事を書くと怒られる。
昔も今も色々な意味で、センスが小気味良く尖ってる。こういった事を書いても怒られる。
勿論色々な役をこなせる柔軟さを持ち、公演を重ねる毎に幅広い役柄を演じた。
さて春原や武輪と同じくこの頃から少しづつ少しづつ、
内容やスタンスに賛同してかどうなんだか、出演を続ける役者が出てくる。
脚本の内容や狙いを深く理解する植木が徐々に共に演出をするようになり、
同時に出演者の増えた分だけ、晴れて私の出演も減ってくる。
そうして私の負担が減った分だけ、活動当初から使っていた映像が、
その分だけ凝ったものになっていく。その映像については、また別記事で。
また1999年辺りから本格的に激しいダンスを舞台に取り入れるようになった。
シーンの連続である作品に起伏を持たせるためである。そこで振付師・植木が誕生する。
ずば抜けた運動神経やバランス感覚、独自のセンスを活かした、独自のダンスが生まれる。
そして2000年という区切りの良い年に、当時残った先鋭達を正式に団員とする。
当時のメンバーは、吉田衣里・植木早苗・春原久子・武輪加奈子・古庄由果理・笠愛。
古庄と笠の正確な初参加年数は残念ながら記憶にも記録にも残っていないが、
古庄の方が大分早かったように思う。
古庄の最初の印象は、物静かながらも内に秘められたキレたセンスと思考回路であり、
笠の最初の印象はキュート&パンキー、であろうか、
それは決定的に“可愛さ”の足りないげんこつ団の舞台に華を添えた。
武輪と古庄は今も、稽古関連や公演関連でサポートを続けてくれている。
ちなみに、げんこつ団で団員となった者は皆このように、
団員になる前に、何度もげんこつ団公演に出演している。
団員の規約としてそうした事が決まっているわけでは全然ないが、
内容や稽古の仕方や公演の形等においての理解が深まってから、
あれ?いつの間にかずっと出てるね?となってから、
団員になるという形が、定着している。
そして2000年に大場靖子と岡本恵実が参加し、その後同年、大庭智子が参加する。
2002年には岡本も団員となり、2003年には大庭が団員となる。…多分。
・後日談:大場と岡本は他の舞台で共演していたが、
そこの劇団の主宰の方がげんこつ団に出演していたからか、
共にげんこつ団の舞台を観てくれていたらしい。
そこで大場は自分らがげんこつ団の舞台に立っている夢を見たらしい。
だから何だと思うが、彼女はそれを予知夢と言って憚らない。
岡本は当初、まだまだ可愛さの足りないげんこつの舞台に華を添えたが、
すぐさまオヤジ要員に昇進(?)。幅広い役柄を演じた。
ちなみに今も公演時には、サポートにやって来てくれたりする。
大場は、いつの間にやらそこに居て、いつの間にやら居続けている印象。
いつの間にやら古株となり、色々な役柄をこなしていた印象。
あ、最初の頃は全公演ではなく飛び飛びに参加していたかもしれない。
よって大庭の方が先に団員となる。
大庭の最初の印象はアフロ。アフロの女が来た!という印象。
しかしすぐさま髪型を変更、そしてまた変更。次々と色々な髪型に変わるので、結局印象、定まらず。
マイペースにしかし着実に、様々な役柄をこなしていくようになる。
そして2004年には河野美菜が参加。
・後日談:後で知ったがお客さんとして何度も舞台を観てくれていたらしい。
しかし意外にあまり多くを語らない性格である故に、
詳しい参加の理由や背景は、なんとな~く今も謎のままである。
河野の最初の印象は、可愛くて小さなお嬢様という感じ。
しかしその印象とは裏腹に芯は強くまた、いたずら妖精なのでした。
そして、2008年に河野と大場が共に団員となり、現在の、
吉田衣里・植木早苗・春原久子・大庭智子・大場靖子・河野美菜、
という形と、なったのでありましたとさ。
…やっと終わった。
つまりは、団員についてはそんな感じの経緯を、辿って参りました。
さて、上記に書かせて頂きました団員以外にも、
これまでも今もげんこつ団は、多くの客演様に支えて頂いております。
単発の出演や出演回数の少ない方については人数が多すぎるのもあり割愛させて頂きますが、
参加期間の長い客演さんについても、ガーッと書かせて頂きます。
現在もよく客演下さっている皆様のげんこつ団への初参加は、
2003年に池田玲子(10・Quatre)、2004年に高園陽子(SPARKO)、
2007年に望月文、2008年に津波恵。
池田は、日本舞踊や殺陣のプロフェッショナルながら、
げんこつ団では古株客演として、きっちりと様々な役柄をこなす。しかし稽古場では弄られキャラを確立。
高園は、本来限りなく乙女でナイーブであろう印象を受けるが、げんこつ団舞台では古株客演として、
持ち前の男前っぷりを披露し、大胆且つ派手に、様々な役柄を演じる。
望月は、その滲み出る真面目さと実直によって物語の中心人物を演じる事も多く、
しかし同時に、様々な役柄を器用にこなす一面も持ち合わせている。
津波は、たとえかなりの特異なキャラでもその中に真剣さや真面目を滲ませ、
また、稽古と何一つとしてたがわぬ演技を舞台でこなす所に、現在評価アップ中。
さてそして、遠~~~~い過去から近い過去の期間の中、
それぞれに長く参加して頂いた方々についても記憶を掘り下げて追記しますと。
最初の最初の活動初期の、試行錯誤時期に参加していたのは、
中島幸枝さん、渡辺仁美さん、菊池美穂さん、他。
そしてそれ以降に長く客演をして頂きましたのは、その参加時期の順に、
テアトルエコー所属の女優・声優である石津彩さん、
タテヨコ企画の舘智子さん、東京タンバリンの高井浩子さん、
元動物電気の伊藤美穂さん、Hula-Hooperの菊川朝子さん。
皆様その説は、本当に有難うございます。また何かあればいつか何かで。
さて、そんなこんなです。
はー。長かった。最後までお読み下さり有難うございます。
あくまでもガーッと書いたので、もしかしたら間違い等があるかも。
したらこっそり、訂正しときます。
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