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はい。げんこつ団の作品は、映像を多用しております。
昨今芝居で映像が使われる事が多く、それについては賛否両論かもしれませんが、
げんこつ団は、そんな事はお構いなしなのです。
何故なら、演劇に映像が使われる事がほとんどなかった或いは少なかった、1991年の活動当初から、
いや実際にはそれ以前から、げんこつ団では映像を多く交えた作品を作っていたからです。
当初は舞台よりも映像をやるつもりであった私の作品ではむしろ、それが当たり前だったのです。
なので、誤解を恐れずに敢えて暴言を吐きますと、
「映像使用が流行り出してから使い始めたヒヨッ子劇団とは違うゼ!」
「容易に映像が作れるようになってから使い始めたヒヨッ子劇団とは違うゼ!」
って事なのです。
現在、舞台と同時進行で、映像でしか出来ないネタを挟み込むにも、
別々のシーンをまとめ、作品に一つの世界を作るためにも、
また、早変わり時間やシーンの合間にもネタをドンドン観せていくためにも、
映像使用は、げんこつ作品において必要不可欠なものとなっています。
例えば舞台上の展開にアドリブやノリによる部分が多いような場合には、
映像と舞台のリンクに違和感を感じさせてしまう恐れもあり、
それにはタイミングをうまく計る必要性が出てくるかもしれません。
しかしげんこつ団は、舞台上は舞台上で言わば別世界としてシーンが進行しますので、
映像がうまく舞台を補足していけるようになっていると思います。
そしてニュースやCMといった、もともと映像であるネタをやる時には、
舞台よりも映像の方が、リアリティがあります。
それは舞台上にリアリティを持たせたいのと同じであります。
また、同じ時間に別の事が進行している事の表現にも、映像は有効に使う事が出来ます。
そんな感じで、げんこつ団では映像を使っております。
話、逸れます。
ついでにリアリティについて書きますと、
げんこつ団は女性のみが出演しているのにも関わらず、いやだからこそ、
老若男女の演技にも、リアリティを追求します。
どんな馬鹿な設定のシーンでも、リアリティを追求します。
かといって静かで淡々とした演技になってしまってはネタが活きない、
そこで、自然な演技の拡大や、そのやり取りの拡大、その強弱の拡大をおこない、
必要な誇張を、おこないます。
女性のみである事が、言わばすでに世の中のパロディである故に、
そのパロディは出来る限り可能な限り、リアルでなくてはいけないと思っています。
話、戻します。
さて映像ですが、活動当初には家庭でのビデオ編集がまだ一般的ではなく、
8ミリフィルムとスライドを、併用していました。
在学中の学内公演時代から使用していたので、1991年以前の事です。
ちなみに活動を校外に移した1991年も、まだ学生だったです。
そこでは映像ならではの、舞台上の人が映像に登場、映像で消える、みたいな事を、
やっていたように思います。
そしてビデオ編集が可能となった頃から、公共の編集室を借りての編集開始。
カメラを複数使ったり、特殊な撮り方をしたり、少ないエフェクトを試行錯誤して、
出来るだけ他では観れないような、オープニングやエンディング映像を作ろうとしました。
この頃から、オープニング・エンディング映像を作るようになりました。
当時の映像は、かなり画像の悪い形で残っておりますが、画質を抜きにしたら、
今観てもなんだか結構、斬新だったりします。自画自賛。
この頃は植木も編集作業に参加。二人で編集室に籠もりました。地獄の集中作業です。
そしてパソコンでの編集が可能となった当初、まだ1分程の動画しか作れない状況では、
その範囲内でCGを作ったり映像を加工して、それをビデオに組み込んだりしました。
作成可能な動画が3分5分と増えたら、その分だけそれを増やし、
同時にパソコン編集でしか出来ない技を使用したネタを映像に組み込みました。
合成等も頻繁に行えるようになりました。
CGは、所謂CGらしいCGがあまり好きではないので、徐々に使わないようになりました。
その代わり、切り抜きコラージュ的作業が、増えました。
そしてこの頃から、映像作成は再び私の一人作業となり、
全てをパソコンで作成出来るようになった今、
その範囲内でこれまでのように、試行錯誤を続けております。
はい。そんなこんなな理由で、そんなこんなな経緯を経て、
げんこつ団は映像を使っております。
えっと。これからも使っていきます。
えっと。以上!
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