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~団長コラム~
こちらは、げんこつ団・団長コラムです。各カテゴリ内に、記事の一覧があります。

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『げんこつ団』-ナンセンス喜劇。

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最初に一言。この記事長いよ。

さてげんこつ団の作品を一言で言うと、ナンセンス喜劇です。
活動当初から、そうだったです。根底にはそれが、流れています。
つまりはやはり、げんこつ団は、ナンセンス喜劇団なのです。

しかしおかしな事に自分自身は、
意識をして、ナンセンスなものをやろう!と思った事が、まったくなかったように思います。
つまりは、自分が面白いと思うもの=ナンセンスなもの、という図式が、
いつの間にやら自分の中にあったような気がします。

そんな私が一番影響を受けていたであろうものは、古い無声喜劇映画だったと思います。
数ある古い無声喜劇映画の中の、ある種の作品、ある種の展開、だったように思います。
何時の頃からか、穴の開く程、気持ちが悪くなる程、それらを観てきました。
中でも、「喜劇のために喜劇的発端があり喜劇的展開があり、
一切の無駄なく喜劇的な連鎖が起きて、やがて喜劇的な終幕に向かっていく」、
そういった流れのものが、好きでした。
いやもう、好きという言葉ではしっくり来ない、「全てにおいてそれが正しい」と思ってました。
何がどう正しいのか、分かんないけど。
つまりは、それこそが世の中の真理だと、思っていたのかもしれません。
とか書くと、なんかちょっと気持ち悪いです。なんでもないです聞き間違いです。思ってないです。

さて私の場合その頃は、そうしたある種の古い時代の喜劇映画のみに、
それを感じられる作品や展開や瞬間がありました。
物語や人物描写や心理描写がちょっとでも幅を利かせたり複雑化すると、その濃度は薄まります。
なので、古い無声喜劇映画でも、物語や人物描写や心理描写の多いものは、
あまり好きではありませんでした。
また、それが主流となり、概ねの映画がそのような形を形成し始めた時代以降の作品には、
その頃は特に、興味も魅力も、感じませんでした。
いや、実際は色んなものが、あるけれど。大雑把には、そうです。
あ、影響を受けた無声喜劇映画については、また別記事で書きます。

さて本題。
そうした、喜劇的発端も喜劇的展開も喜劇的終幕も、意味がない程、馬鹿馬鹿しい。
何故なら、頭で意味を追いながら、それを理性や感情で理解していける展開では、
突発的な笑いにまでは、なかなか到らないからです。
共感したり微笑ましくなったりする事はあっても、急激で突発的な笑いにまでは、なかなかなりません。
それは似て非なるものです。全く違うものです。
突発的な笑いこそ純粋な笑いであって、そこには、意味も理性も感情も、一切入り込む余地はありません。

それはあくまでも、予測不可能なところに起こります。
喜劇的発端には、観客を引き込むために、ある程度の意味と流れが必要な場合もありますが、
喜劇的展開で突発的で純粋な笑いを産むには、あとはそれを、
連鎖的に裏切り続けるしかありません。飛び越え続けるしかありません。
つまりは、作品丸々がそういった形を取っていたり、部分部分がそういった形になっていたり、
そういったものが、私にとって、正しい喜劇でした。
そんな作品やそんな瞬間が、古い無声喜劇映画には沢山眠ってました。
つまりは、それを正しいと思う私は、何を考えるもなく自然とそうした方向で、
作品を作ろうとする事になりました。
今もそれは変わってません。

人間である以上誰しも、作品等を観る際には、
自然とその意味を追い、理性や感情でそれを理解しようとします。
そこに自然と、共感や感情移入が生まれる事もあります。
でもそこに起こせる笑いは生ぬるい。共感や感情移入から来る笑いは生ぬるい。
それは、たとえいくら積み上げたとしても、自分の理性や感情の理解の範囲内に留まります。
しかしどこかでそれを、裏切ったり、ぶった切ったり、全然違う所に飛び越えたりすると、
そこに突発的で純粋な笑いが発生します。
それは、自分の理性や感情の範囲を超えます。
その笑いは、微笑ましさや楽しさ等よりも、驚きや、或いは恐怖に近いものです。
もしくは作品の発端からして、意味を破綻させ、混乱させ、その連鎖を重ねても、同じです。
そこには、戸惑いや驚きや恐怖や嫌悪から来る、純粋な笑いを産む事が可能となります。
色々なやり方があります。勿論うまくやらなくてはなりません。でも正解もありません。

さてそんな喜劇的展開や喜劇的方法に名前をつけるとしたら、それが「ナンセンス」なのでしょう。
私は、自分が公演をおこなった時に、「ナンセンスだね。」とお客様からと言われた事で、
自分の作品が、ナンセンスなアプローチを行っているものなのだと気づきました。
ついでに同じ頃同じように、「モンティ・パイソンっぽいね。」とお客様に言われて、
初めてそれに気づきました。
はい。間抜けです。

あ、モンティ・パイソン自体はすでに、穴の開く程、吐き気がする程、観てはいましたが、
勿論、そのスタンス自体や好きなシーンは物凄く好きでありつつも、
同時にあまり好きではないシーンも、ちょろりちょろりとあったりでした。
また馬鹿な話ですが、その頃の自分の周囲の、パイソンが好きだという人々に対して、
「この笑いが分かる自分って特別」「パイソンだけが最高の笑い」、というような風潮を、
なんとな~く感じてしまう部分もあって、それがイヤで、
似ていると言われる事に反発を感じる部分もありました。
はい。若気の至りです。
あ、モンティ・パイソンについても、また別記事で書きます。

それもあってかどうだか今となってはあまり覚えていませんが、
げんこつ団がナンセンスコメディをやっている劇団だという事は、なかなか表立って表明せずにいました。
あ、そのもう一つの理由としては多分、ナンセンスコメディを作風として表明している他の劇団とは、
作品の色も内容も違い過ぎる気がしていたのも、あったかと思います。
例えば、例として挙げさせて頂くのも大変おこがましい事ですが、
ケラ様の「劇団健康」「ナイロン100℃」などがその頃にも大変活躍されておりました。
勿論、好きです。敬愛もしております。
しかしげんこつ団はあのようにスタイリッシュでもなければ、
あのようなテンポの良さと小気味良い展開で、客席を沸かせてはいませんでした。
もっと野暮ったくて、もっと頑固で、もっと重くて、もっと意地悪でした。
同じナンセンスでもその作品は、なんだかまったく、違うものに思えました。
そんな劇団が同じジャンルを語って良いものかと思いました。
また、同じジャンルを語る事で起きる誤解を回避しようと思いました。
ただ、げんこつ団でしか観る事の出来ない形を追求する試行錯誤の中では、
げんこつ団はその道を選び、その道を通っていました

また、ナンセンスだよ、という事を、スタンス的な部分だけでなく、作品上で示してしまう事も、
その頃は強く避けていた部分もあるかと思います。
ナンセンスな展開が起きた、ナンセンスな台詞を言った、そういった事が、
安易に観客に伝わってしまう事を、恐れていました。
何故なら、「ああ、今、ナンセンスな事が起きたんだな」
「ああ、今、ナンセンスな台詞を言ったんだな」という意識を持たれてしまう事、
それを悟られてしまう事や、そこで笑いが起きてしまう事が、イヤだったからです。

ちょっとややこしくなりますが、
それは結局、理屈での笑いであって突発的な笑いではないからです。
或いは、理屈では理解しても実際に笑えるものにならない場合もあるからです。
よって、今の展開や台詞がナンセンスなものであったと分からせてしまうような、
その後に続く間や反応や台詞、いわゆる“ツッコミ”的なもの、
そういったものは、げんこつ団の作品では、なるべく排除するようにしてきました。
その上での、ナンセンス喜劇としての成立を目指しました。
また、ナンセンスな展開や台詞に対する登場人物の反応で笑わせるのは、今も出来るだけ避けています。
それは、その反応による笑いに傾きやすく、肝心のナンセンスな展開の部分を、
知らぬ間に怠けさせてしまう恐れがあるからです。

あ、でも、それがその時の登場人物の自然な反応として生まれる場合は、別段迷わずにその表現をします。
その辺は、そんなに頑固じゃありません。ほいほいやります。
ときにそれは必要です。ときにそのような脚本を書きます。
ただ、安易にその方法を取り過ぎないようにしています。
あくまでも登場人物の自然な反応の範囲内で、やります。

よって一時期は、一切の説明無しのナンセンス、
ナンセンスな展開や進行が当たり前の世界、そんな作風が強くなり、
結果、なんだか分かりにくいシーンが続出する事もありました。
まあその辺は、多かれ少なかれ、今もある意味、試行錯誤です。

さて。何はともあれ。今はポンポン言えます。
このように、「げんこつ団は、ナンセンス喜劇団」です。
ナンセンスコメディをやっています。且つシュールでブラックです。
軽口叩くよにペラペラ言えます。ペラペラ。

勿論、そう紹介すると人それぞれに想像するものが違うかと思いますが、
どうせ観て頂かないと分からないのですから、そう言う他、ありません。
また説明上は、モンティ・パイソンに似てるとも言います。
結局はそれが一番、伝わりやすいからです。
あとは実際に観て頂いた方々に、判断して頂けたら良いのです。
もともと小難しい事は何もありません。

開き直りかなんなのか。
げんこつ団の作風もスタンスも、その土台が、
今は過去よりも強く揺るぎないものになっているせいもあるかもしれません。
或いはある意味、単に大人になっただけなのかもしれません。
ともあれ、今は公言します。
なんでなかなか公言しなかったのか、自分でもよく分からないくらい、
そこに違和感や迷いが、ありません。

でもたまにはベタなシーンもあります。ナンセンスでないシーンもあります。
20~25個もシーンがありますから、色々やります。色々やりたがりです。
ともかく馬鹿馬鹿しくてくだらない事が、何より大事です。

もともとナンセンスを意識してなかった事もあってか、なんかその辺、自由です。
良くも悪くも、自由です。
その辺は、ヘロヘロです。

はい。そんなこんなで、げんこつ団はナンセンスな作品を作っています。
 

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