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次には、古いは古いけど、そんなに古くはない映画について、
好きなもんをあれこれ書こうと思ってたんだけど…。
さっきビデオを整理してたら、チャーリー・チェイスとか色々出てきた。
で、古い映画の話に逆戻り。
19世紀後半のパラパラ漫画のように写真を動かすようなものから、
1895年だかどっかで映写式の映画が誕生して、
そっから1920年代あたりまで。
そのあたりが、映画というものに対して、私が一番好きな時代。
舞台におけるバレエやオペラや芝居や或いはボードヴィル、
もしくは舞台じゃなくても大道芸やサーカスなどなどなど、生のものしかなかったところから、
映画というものが生まれて広まったのは、すげえワクワクした事だと思う。
特に、見る側ではなく作る側としたら、尚更。
勿論ビジネスチャンスだとかなんだとかあっただろうけど、
商人気質ではない私としては、そっち方面の事よりも、
現場での純粋な作り手としてあったであろう、諸々な意図に惹かれる。
この技術を使って何をしようかと試行錯誤する時にあったであろう、
自由さや奔放さ、人を驚かしてやろうという意思や発想や計算や技術、
そしてすでに生まれ始めていたであろうセオリー通りの表現方法を、
守るか、或いは敢えて新しい事をしてみようかという選択、
…例えばそういったものを、作品の中に勝手に想像しては、ワクワクする。
この「映画」という技術が、映像で別の場所のものを見る、記録映画や報道やニュース、
作品としての、全ての映画やドラマやアニメーション、
あとネットで配信される映像等の、諸々全ての発端だと思えば尚の事。
作品的には、基本的にはスラップスティックなものが好きだけど、
この時代のものに関しては、SFもホラーもメロドラマも実験的なものも記録映画も、何でも好きだ。
どんなものでも、興味を持たずにいられるはずがない。
バレエもオペラも芝居もボードヴィルも大道芸もサーカスも、
人を驚かせたり楽しませたり、或いは感動させたりしようとするものの原点には、
映画というものが出来た初期の頃に似た、純粋な試行錯誤があっただろうけど、
何であっても長く続くと、その純粋さを潜在してキープするのは、
なかなか容易ではなくなっていくかもしれない。
漠然とした言い方になってしまうけど、感覚的に、
原点が純粋な程、原点が明確な程、発想の自由度は増すと思う。
だから、時代的に一番近いとこでそのワクワクを凝縮して感じられる、
映画初期の時代や、その頃の作品に、強く惹かれるのかもしんない。
だから、もしかしたら「映画」じゃなくてもいいのかもしんない。
演劇を観たりやったりする程に(あ、そんなにやってないけど)、
自分は「いわゆる演劇人」じゃないなあ、と、最近特に、そう思うのだけど。
でもだから、まあそれは、それでいいんじゃないかと、今、思った。
有り得ないけど仮にもし、自分が「演劇人」になって「演劇」を突き詰め始めちゃったら、
根本的な、やる意味や目的が、全然変わってきてしまうし。
私の場合、原点はそこにはないし。
だから、演劇だろうと映像だろうと他の何であろうと、構わなくていいんだと思う。
それは、あくまでも手段として、向き合うべき事なんだと思う。
ああ、話それた。
だから、その時代の映画を愛しておるのです。という事です。
どの作品が…、とかは、その時代の映画は腐る程あって、
光ってるのも腐ってるのも王道も邪道も色々あって、
「作品全体として好きとは言えないけどこの瞬間はすげえ好き」とか、
「作品全体はいいけどすげえ好きな瞬間はあんまりない」とか、
色々あり過ぎて頭の中がグチャグチャして、やっぱりうまく言えない。
あとやっぱり、人の名前とか作品名が覚えらんないから、うまく言えない。
もし、興味があって、よく知らない方がいらっしゃったら、
その時代の映画について調べてみて下さい。
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