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勝手な持論。
何であっても人に見せるための作品というのは、それを見る者に何らかの打撃を与えようとするものだから、
その目的を果たすためには、自分などというものは完全に、“バラ”した上、“バラ”さなきゃいけない。
自分のプライドも自意識も、価値観も考えも、感情も思いも、“バラバラ”にした後に、“バラ”す。
ここでいう「バラし」は大道具を「バラす」といった意味での、「バラし」。
つまり、持ち運びだしやすい所まで、その行為に適した所まで、バラバラに解体してしまう事。
さらけ出して披露するという意味の「バラし」の方法もあるかもしれないけど、
それは自分の場合、好みではない。ここでの意味は、まったく逆。
さて作品のために自分を必要なだけ“バラ”して“バラ”したら、
クソつまらない表層的な自分なんぞ、そこには完全に不在。
自分の場合はもともと、作品には最初から、「自分など一切不在」という意識。
だから“自己表現”と言った言葉はピンとこないし、そういった作品は、個人的には嫌い。
芝居でも映画でも音楽でもなんでも、つまらないと思う作品に対して時々思うのは、
「お前なんぞ、どうでもいい。」という事。
それは「表層的なお前」なんぞどうでもいいという事。
頭の中でコネクリ回した事や、心の中でアーダコーダ思った事はどうでもいい。
そう思うのは自分の勝手だから、自分の勝手とさせて頂くとして。
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