[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
そういえば10年前かそれ以前には、げんこつHP内に、
自分がけっこう好き勝手にものを書くページがありました。
でも放っておくと、バカな事や、青臭い事や、ヤバイ事や、変な事を、
どんどんどんどんそこに書いてしまうので、
やっぱり恥ずかしくなって、そういったページは一切、やめたのでした。
そっから少しだけ大人になって、「絶対に当たり障りのない事しか書かないぞ。」と心に決めて、
ブログ的日記ページを、団員巻き込んで、始めたのでした。
そしてそれを5年ほどやって、「ちょっとは大人になったかしら」と、
この団長コラムを始めたのでした。
ああ、精神的成長・人間的成長の、この遅さよ。
さて何故今そんな事を改めて申しましたかといいますと…。
その、10年以上前の、好き勝手にもの書くページのあった頃の、
なにやらメモのようなものが、…出てまいりました。
……出てこなきゃいいのに、出てきちまいやがりました。
あーあ。
出てきちまったからにゃあ、放っておけねー性分です。
若気の至り、ここに晒しちまいましょう。
--------
メモ1
--------
他の芝居への感想を求められても困る。
どこかの劇団を心の底から良いと思ったら最後、そこに頼み込んで土下座して、
無理やり何とか潜りこんで、お手伝いでもなんでも、させてもらうしかないから。
だから、そうした事をせずに命削るような思いをして自分で作品を作っている、
例えば劇団主宰者などは、自分の作品が世界で一番、或いはそうなれると、思っているはず。
それなのに何故誉め合えるのか、まったくもって理解不可能。
もっともっと、素直に言えばいいと思う。でも言われた方も別に、それに怒りを覚える必要はない。
どう言われようと、自分の作っているものに誇りを持っているのだし。
そんなもんは、ボロクソに言い合ってナンボじゃね?
<今の見解>
いやいや…、
「アレも好きだしコレも好き」「アレは好きだけど自分のすべきはコレ」そういった考え方もあるですよ。
またもしも自分が何かを「クソつまらん」と思っても、それが好きな人もいるですよ。
だから公の場では、発言を慎まなければいかんです。責任を持った発言をするべきです。
ただ。発言に責任を持つべきとは思うけど、本音を言えば、
「発言を慎まねばならない風潮」が、特に、閉ざされた世界では強すぎるように感じ、
それは諦めつつも、今も正直、時々鬱陶しい。
--------
メモ2
--------
芝居とは何ぞや、演技とは何ぞや、と、考えるのはくだらないと思う。
芝居とか演技なんて、単なる手段でしかないし、音楽も美術も映像も演劇も、単なる手段でしかない。
熟練したり向上したり巧妙になる事はあっても、手段は手段でしかない。
その手段を使って何をやるかが、重要。
そこがスッポリ抜け落ちて、手段だけコネクリ回したって何も生まれない。
だから役者が大きな顔をしてはダメだ。
役者は作品を作る部品や道具となって、滅私奉公、働かなきゃダメだ。
例えば素晴らしい役者による素晴らしい演技だけをこれでもかと見せられても、で?としか思えない。
また、脚本家や演出家も、大きな顔しちゃダメだ。
作品を構成し作り上げるためのエンジンとなって、滅私奉公、働かなきゃダメだ。
例えば素晴らしい脚本家による素晴らしい演出だけをこれでもかと見せられても、で?としか思えない。
それ自体は、もしかしたら娯楽にはなるかもしれないが、
その手段を使って、何をやり、何を与え、何を起こし、何を生み出すか、そこを忘れちゃいけない。
<今の見解>
はい、今もだいたいその通りだと思います。
が。演技そのもので魅せる演劇や、脚本そのもので魅せる演劇は存在していて、
それはそれで非常に存在価値があると思うので、それを否定してしまってはいけない。
そこを否定してしまうと、演劇自体を否定して、社会運動を始めかねない。別に社会運動はしたくない。
なので自分は、そういった性質を持つ演劇というものを、出来るだけ有効に、利用させてもらえばいい。
--------
メモ3
--------
たとえ人の一人一人はそれぞれ素晴らしい人間であっても、集団になれば、
良い部分は削られながらプラスされていき、悪い部分は掛け算的に、膨れ上がっていく。
或いは、プラスされるはずのものがマイナスになったり、マイナスされそうなものがプラスに転じたりする。
だから一対一の関係と、集団対集団・個人対集団の関係では、性質がまったく違う。
よって、“客”は“バカ”だと思って差し支えない。
例えば自分自身が個人として集団に向き合う時の、そのとっかかりでは、そう思っても差し支えない。
個人個人は色々な価値観や考えを持つ人間が居ても、大きな集団としての“客”は、
「他の皆が笑ってるんだから面白いんだろう。」(それかその逆。)
「有名な誰それさんが良いと言っているんだから良いんだろう。」(それかその逆。)とか思う。
人間の弱さが、そうさせる。その部分がうまく働く事もある。
ただだから、そうした“意識”や“思考”や表層的な“感情”なんかは、ズバッと飛び越えたものを作りたい。
良いとか悪いとか面白いとか面白くないとかは勝手に思ってもらっていいけど、
普段思ってる事や、知らずに持っている固定概念を、まず壊してしまいたい。
そうして、まず、集団でいられなくしてやる。
集団という、隠れ蓑を壊して、まず一対一になってやる。
すると、“客”も集団の中に安穏としていられなくなるはずで、
何より自分も、“客”を“バカ”と捉えたり、そうして無意識に楽をしようという方向に、進まずに済む。
そのためには、難しい理屈も理論もいらない。
どんな人生を送りどんな学歴を持ってるも関係なく、ただただ単純に、“驚き”や“衝撃”を与えたい。
しかしげんこつ団の場合には、視覚や感性に訴えかけるやり方ではなく、
発想の転換や逆転、といった方法で。その結果生まれるものが、笑いであればいい。
視覚や感性に訴えかけるものは、ときにアートとなりやすく、アートというものは、自己満足を共有しやすい。
しかし笑いの場合、緩さや惰性に傾かず、妥協をしなければ、物凄くタイトに、
純粋な客との敵対関係を、保っていけるように思う。
<今の見解>
別にそう思っててもいいけど、
お客様に対して“バカ”というような言い方をするのは、やめなさい!!
--------
以上。
過去の自分を振り返り、今の自分を見つめなおし、あー、もっと粋な大人になりたい。
≪ そういえば。 | | HOME | | 猜疑の美学? ≫ |