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例えば。
あまり知らない人と何か共通話題はないかと思ってて、ふいに接点が見つかって乗っかってみたら、
勢いに任せて乗っかりすぎて、思ってない事まで言っちゃう。そういう事はよくある事。
でも別にいいやと思う。
実体験から得たものや実体験から得た信念のようなもの以外は、
「考え」とか「思い」なんてものは、ウワズミみたいなものと思う。
ほんの時々は上質のスープやエキスが取れる事もあるかもしれないけど、そんなのは稀。
大概は、それだけじゃ何の役にも立たない薄い汁や、取り去るべき灰汁のようなものが浮かぶだけだと思う。
或いは中身があまりにも腐っていたらそれは毒や害にしかならないかもしれない。
もしくは、そうであっても突然変異的に、物凄く役立つものも生まれるかもしれない。
結局、ウワズミはウワズミ。沈殿物から出た色んなものの化合物。
だから、ウワズミばっかり捏ね繰り回す事や、
ウワズミの体裁ばっかり整えようとする事は、どうでも良くなってくる。
何でもない会話などで表に現れるのは、確かにウワズミの部分が主で、
だから魅力的なウワズミを作れる人は、人付き合いがうまいと思う。
魅力的なウワズミを作れる人は、大概はその中身も魅力的で、
それがいつも活性化してるから、魅力的なんだと思う。
しかし同時に、ウワズミだけをキレイにしている、エセ人間も多い。
そんなもんに騙される事だけは、絶対したくない。
また、そんなもんに影響される事も、一切したくない。
ウワズミマジックを使って人を煙に巻く人がいる。
自分のウワズミがマジックを起こし、それに騙される人がいる。
自分のウワズミをコントロール出来ずに、それに踊らされる人がいる。
それはそれでいいのかもしんない。
ただ例えば、ごまかしのきかない何かを作り出す場合などには、
ウワズミだけでは騙しきれない部分も出てくるだろう。
また、ここぞという大事な時や突発的な何かが起きた時には、
大事にしてたはずのウワズミなんか、一気に全部、吹き飛ばされてしまう。
どんなに考えを捏ね繰り回した所で、それが薄い思考にしか寄らないものだった場合は、
それは何らかの拍子で軽く覆されたり、吹き飛ばされたりする。
地に足をつけなくてはいけない、実体験を大事にしなければいけない、
他の人のウワズミを沢山吟味しなくてはいけない、自分のウワズミを他の人に味見させなくてはいけない。
あれこれあれこれ、そんな風に思うから、
表面的で儀礼的な会話なんかは、やっぱけっこうどうでもよくなってくる。
つい、そん時さえ良ければいいやと思ってしまう。だから時には思いも寄らない事も言える。
その後に大きな矛盾さえ出なければいい。あとは実際の行動が大事と思う。
ただ、物事をあれこれ考えたり、思いをあれこれ巡らせるという事に関しては、
本当にどうでもよい。あんまりしない。
あれこれ考えたりはするけど、どうにでも転べる。
色んな情報には興味を持つけど、ストックしとくだけ。
自分の本体は、外からも自分からもよく見えるウワズミにはなく、
もっと深く沈んでいる沈殿物にあって、それは自分でもちょっと見えづらい。
そこには、「思考」や「感情」や「人間性」なんかのウワズミなんかからは、
想像も出来ないようなものが沈んでいる。
或いは、浅いとこには実体験による結果が積み重なって沈んでいるかもしんない。
自分でそれを良いと思うも悪いと思うも関係なく。
しかもその鍋やドラム缶の底は、普通では見える事がない程深い。
いやもしかしたら底なんかないのかもしんない。
そう思うと益々、表面的な会話や交流を軽視するようになってしまうけど、
でも人間同士の社会的な繋がりにおいては、それは必要不可欠。
それは、社会に生きるうえでは、必要不可欠な事と思う。
それは、「寒い場所や季節以外は服なんか着なくてもいいじゃん」と思いつつ、
町に住んでいる以上、服を着なけりゃいけない、人並みの格好をしなけりゃいけない、のと同じ。
でも、それがウワズミでしかない事は、いつも念頭に置いておかないといけない。
それに、捉われたり縛られたり騙されたりが、御免な場合には。
…とか。
こんな事をわざわざ改めて文章にしてみると、
かなり青臭いなあと感じる。いわゆる中二病的寒さを感じる。
長いわりにどーでもいい。くだらねえ。阿呆らしい。
「結局人間は生まれたらいつかは死ぬんだよ」とか書いちゃうのと同じ匂いがする。
……という事を今感じたのが、今回、この事をザーッと書いて、得た事。
だけど載せちゃう。戒めのために。
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